
この間ビーチクリーンをしながらふと思ったんだけど、なんで海岸にゴミがあるんだろ?


「なぜ海岸にゴミがあるか。それはそこにゴミがあるから」
・・・

・・・
人はなぜ山に登るのか、みたいなノリで誤魔化そうとしてませんかー

ソンナコトナイデスヨー・・・
でも海岸をパッと見渡しても、貝殻とか木とか水草とか、ペットボトルとか空き缶とか、いろいろ落ちてるからひとくくりにゴミと言われても・・・

そこはやっぱりプラスチックでしょ。

あぁプラスチックねー
何ででしょうね。
ちょっと考えてみましょうか!
プラスチックはなぜある?
分解されないプラスチック
海岸で見かけるものといえば藻。でもこれが積もり積もって年中海藻だらけ!という海岸は見たことないです。それはやはりカニとか虫とか小さな生き物が食べたり、乾燥してパラパラになったりと分解して無くなっていくから、積もり積もるということにはなりません。
それに対してプラスチックはとても丈夫。例えばペットボトルは分解されるのに400年掛かると言われます。分解されないからそこにあり続ける。海岸にプラスチックごみがある理由と言えそうです。
でも400年で分解されるなら、「天保〇年」とか書いたペットボトルが見つかっても良さそう!?いや見つかるわけないですね。だってその頃プラスチックないですから。
身近な存在になりすぎたプラスチック
江戸末期の天保は1840年頃。その30年後には最初のプラスチックと呼ばれる「フェノール樹脂」が発見され1900年代初頭には工業生産が始まります。とは言えこの頃のプラスチックは、職人による手作業で作られる希少なもの。かのシャネルは宝石の代わりに使用したコスチュームジュエリーを発表するなど、現代のプラスチックとは扱いが違っていたそうです。
方や現代は何か商品を手に取ると、薄いラップやきれいな装飾がプリントされたプラスチック包装が当たり前。文房具、調理小物、その他生活雑貨、そしてスマホと身の回りはプラスチックだらけ。
これだけプラスチックがたくさんあれば、海へ流れ出るものもあるでしょう。
物は移動する。そこにプラスチックが加わっただけ。
海岸に貝殻があり、川に木が流れる。これは特に問題とならないですね。では再び江戸の景色を想像すると、シジミ売りの少年がいて木の船が水路を進む、そんな光景が目に浮かびます。シジミを食べていたのなら、貝殻はゴミとなっていたでしょうし、傷んだ木の船が河原へ打ち捨てられたという事もあったでしょう。そしてそれらが洪水などで海へ流れ出たこともあったでしょう。ではこの状況に遭遇できたとしたら「海のゴミが・・・」と気に留めるでしょうか?
生活ゴミが自然環境に混ざり出るというのは、おそらくずっと昔から起こっていたこと。むしろ洗濯は川で!というのは日本でも意外と最近まであったことですし、汚れたものを川へ流すというのは日常的なことだったのではないでしょうか。
では今なんでそれがダメかと言えば、分解されないプラスチックがいるから。プラスチックを使うことに比べて、捨てることをあまりに気に留めなかった結果が、海にプラスチックごみがある理由と言えそうです。
プラスチックごみは海岸だけにある?
沈むプラスチックの存在
日本全国、いや世界中の海岸で、たくさんプラスチックごみがあることが報告されています。でも浮いているものは海岸に漂着しますが、沈むものはどうでしょうか?
例えば身近なペットボトル。キャップが付いて中に空気が入った状態なら浮きますが、素材であるPETは沈むプラスチック。他にも沈むプラスチックは存在しますし、中身の入った真空パックの状態であればそれごと沈むことも考えられます。
これら沈んだプラスチックはどこに行くのでしょう?そもそもどこから来るのでしょう?どこからどうして来るのかを知ることは、海にプラスチックごみがある理由につながりそうですね。

このように海にプラスチックごみがある理由は、分解されないからや、大量に使用するからなど「あるべくしてある」と言えそうです。
やはり「そこにあるから」なんですよ。

なんか無理やり持って行った感あるけどー!
でも「あるべくしてある」の原因が人の手によるものなら、減らす、なくす手を打てば解消できそう!

ではその手を探しにもう少し海ゴミのこと、探ってみましょうか。
参考資料
『図解プラスチックのはなし』(日本実業出版社)
プラスチックのあゆみ(プラスチック工業連盟HP)
キーワード
SDGs12つくる責任つかう責任、物質循環、大量廃棄
この記事を書いたのは

ヒトデ
うずしおクリーンアップのごみ処理担当。訳あってヒトデ好き。そのためヒトデと名乗る。釣りに行ってヒトデばかり釣っていたからでは、断じてない。
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